″微ネタバレあり″ 映画『犬王』感想

予告編の10倍!!
清々しいまでにロックンロールしてた
映画の話

犬王

データ

公開:2022年
製作国:日本

あらすじ

室町の京の都、猿楽の一座に生まれた異形の子、犬王。
周囲に疎まれ、その顔は瓢箪の面で隠された。
ある日犬王は、平家の呪いで盲目になった琵琶法師の少年・友魚と出会う。
名よりも先に、歌と舞を交わす二人。
友魚は琵琶の弦を弾き、犬王は足を踏み鳴らす。
一瞬にして拡がる、二人だけの呼吸、二人だけの世界。
「ここから始まるんだ俺たちは!」
壮絶な運命すら楽しみ、力強い舞で自らの人生を切り拓く犬王。
呪いの真相を求め、琵琶を掻き鳴らし異界と共振する友魚。
 
乱世を生き抜くためのバディとなった二人は、
お互いの才能を開花させ、唯一無二のエンターテイナーとして
人々を熱狂させていく。
頂点を極めた二人を待ち受けるものとは――?
歴史に隠された実在の能楽師=ポップスター・犬王と
友魚から生まれた、時を超えた友情の物語。

出典:劇場アニメーション『犬王』HPより引用

公式サイトはこちら↓

劇場アニメーション『犬王』 (inuoh-anime.com)

見た人の大半が
これポップスターじゃなくて、
ロックスターじゃね?

 
と思うであろう作品。
 
 
なぜ、ロックかというと・・・
おっと、この話の前に。
 
 
犬王とは!
室町時代に実在し、
人々を熱狂させた能楽師。
しかし、
後世に彼の舞が残ることはなかった。
 
 
残らなかったのだから、
当然、彼の舞がどんなものかは分からない。
 
 
これまでの能楽と一線を画し
人々を熱狂させた犬王の能楽。
それを表現するのに、
モチーフにしたのが、“ロック”
 
ロックというか、伝説的バンド“Queen”
 
一か所、明らかに
名曲「We Will Rock You」のイントロが
入ってましたよね!!
 
それ以外にもQueenのPVぽい演出とか。
 
これには意表を突かれた。
なぜ、なに、ホワイ?
どうしてロックなんだ!
 
たぶん、理由はシンプル。
ロックには“衝動”が
秘められているからじゃないかと。

 
 
主人公・友魚と犬王には、
どうしてもやり遂げたい衝動がある。
 
それは、「平家の物語」を紡ぐこと。
その平家物語は犬王の解釈が入った新たな物語。
 
都合の良いように作られた「平家物語」でなく、
真実の「平家物語」である。と。
 
 
音楽はロックだけれど、
劇中で描かれる舞にも、
フィギュアスケートだったり、
体操、雑技、バレエと、
たくさんのモチーフが入っている。
 
バレエの動きから、
流れるようにスケートの動きになったりと、
動きの組み合わせが面白い。
 
 
本当にね。
映画の冒頭から心を掴まれまして。
友魚の目が見えない世界の表現とか。

面白いなぁ~って。
楽しく見てたんですよね。
 
・・・ライブシーンまでは。
 
このライブシーン。
ものすごく悩ましくって。
 
というのも、不思議なことに
映画見終わって、劇場出るころには
どんな歌だったか思い出せないんですよね。
 
同じフレーズを5分以上は
繰り返し流してたはずなのに。。。
 
クジラがどうたら言ってたけど、
メロディはどんなだったけ?って。
ハミングすらできない。
 
 
なんで、記憶に残らなかったのか、
考えたんだけれど、
私、そもそも能楽が
なんなのか知らなかった
んですよね。
 
 
「能楽は歌うんですか?」っていう
初歩中の初歩レベルから知らない。
 
能楽には、『型』があるそうで。
決められた所作、囃子を組み合わせて構成する。
 
それらの型を破った「犬王」の舞が、
基本の型を知らないので、
どんな部分が斬新なのか
イマイチ分からんという。
 
例えば、能楽では「すり足」が大事なんだけど、
それをあえて破ったとか。
もしくは、派手な動きをしてるんだけど、
基本のすり足は守っているとか。
そういうのを知ってれば、
もっと楽しめたんだろうけど。
 
 
しかも、犬王の動きにあるのは、
荒川静香さんのイナバウアーであったり、
熊川哲也さんのバレエの動きであったり・・・。
 
そりゃ、室町の人は知らないだろうけどさ、
観客側は、テレビで飽きるほど見せられた演技なので、
「知ってる」んですよね。
 
誰も知らないはずのものを、
我々はすでに知っているという矛盾。
 
 
これを面白がるには、
やっぱり「だから彼らの演技はすごいんだ」
というのが一つ欲しかった。
 
 
とはいえ、
「記憶に残らない歌」というのは、
「後世に伝わらなかった犬王の能楽」と
リンクしている気もする。
残りそうで、残らないモヤモヤした感じ。
・・・もしかして、
わざとこんな見せ方にしてるのか?
 
Queenをモチーフにしたライブとはいえ、
人生を歌い上げたフレディと違い、
彼らは人生の半ばにして、
能楽で“物語る”ことを止めてしまう。
 
どうして止めてしまうのか、
それは映画を見て頂きたいのだけれど、
そこが、記憶に残らなかった理由の一つかもしれない。
 
だから、なんとも切ない。
 
 
まあ、さんざん書いてきましたが、
時間が流れるのがあっという間に感じる映画でした。

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