″映画感想″ 僕が跳びはねる理由

映画

エッセイを原作とした、
詩的なドキュメンタリー映画の話。

僕が跳びはねる理由

僕が跳びはねる理由 [ ジェリー・ロスウェル ]

データ

公開:2021
製作国:イギリス

あらすじ

自閉症の作家・東田直樹が
13歳の時に執筆したエッセイをもとにした
ドキュメンタリー。
 
世界各地から5人の少年少女にスポットをあて、
家族たちの証言も交え、
自閉症と呼ばれる彼らの世界を垣間見る。
 
はたして
「普通とは何か?」

原作は、
「自閉症の僕が飛びはねる理由」。
作家は自閉症をかかえる、東田直樹氏。
 
まず、本当に恥ずかしいんですが、
私、自閉症のかたと
コミュニケーションをとるのは難しい。
 
そんな風に思ってたんですね。
 
 
だけど、映画の原作も、そうですし、
本編もそうですが、
コミュニケーションはとれるんです。
 
苦手なのは、会話。
「話せないことは気持ちを伝えられないことだ」
「反射でしゃべるので、本心とは違うことが出る」

と、語られていますし。
 
そんなことを思えるということは、
感情がないわけでなく、
発信の仕方が難しいだけ。
 
 
だから、
別の手段で、会話を試みた話も
映画の中に出てきます。

それは、文字盤を使ってのアクション。
 
 
劇中に、こんな言葉があります。 
「話そうとすると消えてしまう僕の言葉を
文字盤は つなぎとめてくれる」

 
 
つまり、文字盤を使うことは、
あなどれない部分もあるぞ。
ってことで。
 
学校の授業を文字盤を使って
挑戦している例が登場します。
 
ベンとエマの二人です。
 
エマが授業を「時間のムダ」と、
言ったところは笑っちゃった。
 
 
などなど、自閉症について
知らないことだらけで、
わりと、偏見を持って生きていたことに
気づかされます。
 
そのほかにも!
 
物事は“線”ではなく、
“点”で追っている
ため、
5年前のこと、昨日のことも
同列に思い出す。とか。
 
 
何かを理解するときも、
全体を把握してから、
ミクロの視点へいくのでなく。
ミクロの視点から
マクロの視点へと
徐々に理解していく
らしい。とか。
 
個人的な解釈だと、 
パスタを食べてから
具材のパプリカを知るのではなく。
 
パスタの中のパプリカを食べてから
パスタを知っていく。
 
ということなんだと思うけど、
あってるかな。
まあ、だとしたら、
何かを理解するのに、
遠回りするのは間違いない。
 
 
理解していくと、
行動にも納得がいくというか。
 
ただ、当然ながら、
映画を作っているのは、
自閉症でない人たち。なので、
100%彼らの意思が
尊重されているかというと、
そうでもない気はする。
 
 
文字盤を使った、
自閉症患者の言葉と思しきものが
劇中になんどかインサートされるけれど、
本心で言っているかは、正直分からない。
 
なので、鵜呑みにしすぎないほうが
良いと思うけれど、
自閉症の理解の一助にはなる、そんな映画。
 
 

あ、そうそう。
この映画。エッセイが原作ということもあってか、
絵作りが詩的なんだよね。
 
 
お気に入りは、
東田さんが雨を理解したというシーンで、
原作本の上に、雨を降らせる演出。
 
東田さんの意思が詰まっている本に、
徐々に雨が染み込んでいくという。
 
けっこう好きなシーン。
 
 
原作の言葉を引用する部分でも、
少年をいろんなシチュエーションで歩かせ、
そこに、言葉をかぶせている。
明らかに東田さんの分身みたいな見せ方。
 
この少年が出てくるシーンは、
全部、詩的で面白い見せ方をするので、
ここだけ見ても、
なんか参考にできそうだよなぁ。
 
 
 
以上「僕が跳びはねる理由」でした。
重いテーマなんだけど、
希望を感じさせる作りなので、
明るく見やすい作品です。

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