❝現代語訳 風姿花伝❞ 感想

書籍

「芸能とは諸人の心を和ませ、感動を与える幸福の根本」

現代語訳 風姿花伝
著者:世阿弥 翻訳:水野 聡

花は散り、また裂くときがあるゆえ珍しい。
能も一所(ひとところ)に常住(じょうじゅう)せぬところを、
まず花と知るべきだ。

著者の世阿弥とは、
室町時代初期に活躍し、
日本の伝統芸能である「能」の大成者。
彼が、亡き父観阿弥からの遺訓を基にしるしたのが
全7編からなる『風姿花伝』
 
『犬王』見てから、能について気になってたので読みました。
現代語訳のほう。(古語は難しい)
 
元々、一子相伝だった能の理論書で、
日本最古の能楽理論書でもあるらしい。
 
 
能の永遠のテーマは「花」
「花がある」という言葉を誰かに向けて使ったり、
あるいは、聞いたことがあると思います。
その花とは、何を指すのか?
あらゆる角度から「花」の本質に迫ろうとする書。
 
・年代別に修行と工夫の方法
・物真似の技術を女、老人、直面、物狂など9つの題材事に解説
(物真似とは、役になり切ること。みたい。)
・具体的、実践的な演出方法
・・・などなど、能の技術よりも、心構えについて書かれている。
 
世阿弥は、こう言っている。
花は見る人の心に珍しいゆえ花なのだ。」
 
若い時分は、若さが「花」として武器になる。
アスリートや役者で、「10代なのにすごい」と評される人。
つまり、珍しい人。
それが、たぶん花なのだと思う。
 
しかし、世阿弥は、こうも言っている。

若さと見る人の珍しさゆえの一時の花である。
この一時の花をまことの花と取り違う心こそ、
真実の花をさらに遠ざけてしまう心のあり方なのだ。

一度、凄いと言われても、
何もせずにいたら、飽きられて。。。
ましてや、大人の世界に入れば、子どものとき出来た凄いことは、
実は普通のことだったりする。
 
花を無くさないように、幅広く知識を入れることが大事で、
その得たものの中から、
自分の武器を見つけて、それを特に磨き上げる。
もしくは、複数の知識を組み合わせて、
「珍しい」を作るのでもいいのかもしれない。
 
一流の能役者は、
お馴染みの芝居でも、演技の強弱、緩急を変え、
珍しさを生み出せるとか。
そのために、必要なのは技術ではなく、心意気。
年老いてからも花を咲かせ続けられる人が、
まことの花に近づいていく。
 
 
この本で、面白いのは世阿弥の時代にも、
観客について思うところがあったらしく、
芸能についてなにも分かってない素人は「愚かな眼」と書いているところ。
芸に造詣が深い人も、そうでない人にも、
「なるほど」と映るような能をすることに苦心したみたい。
 
 

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