「君が代」と聞いて
どんなイメージがあるだろうか。
個人的にはやっかいな歌だ。
口ずさみたくなるようなメロディでも
気分が高揚する歌詞でもない。
さらに、
国民なら「歌うべき」
天皇賛歌だから「歌わなくても良い」
と長いこと論争が続けられている歌でもある。
うかつなことを言うと
火あぶり間違いなし!
しかし、絶対に耳にする機会がある。
それがオリンピック―。
これを機に君が代と向き合ってみよう。
本書の特徴は
「君が代」の歴史にスポットを宛てた点。
・歌詞の選定
・作曲の経緯
・国民への普及
3点から君が代をひも解いていく。
教科書には載っていない
誰も教えてくれない君が代には
どんな不思議があるのだろう。
「とりあえず」で生まれた歌
1869年(明治2年)
明治維新後、海外へ進出しようとした日本へ
英国王子アルフレッドが来港することになった。
これは国際社会に日本をアピールする大チャンス!
と、とらえた日本は早速歓迎の準備!
「媚び売って欧州列強の仲間入りしてやるぜ!グヘへ」
と言ったかどうかはさておいて、
そんな当時の日本政府に寝耳に水な言葉が。
当時、日本に駐屯していた
英国陸軍軍楽隊長、フェントンの言葉である。
「日本国歌ってどんなものか聞いても良い?」
この時代は外交時に互いの国歌を演奏するのが
マナーであった。
しかし、ずーっと鎖国していた日本には
当然国歌がないので大わらわ。
急遽、作らねば!となったそう。
ただ国歌についてはペーペーもペーペー。
どう作ったら良いか全く分かりません。
そこで妙案を思いつきます。
「そうだ、君が代を使おうぜ」
元々、君が代の出自は古今和歌集。
「あなたの健康長寿を祈ります」という意味で
武将、民衆問わず、
縁起の良い歌として千年以上歌われてきた。
物語や浄瑠璃などにも使われており、
知らないものなどいない歌だったのだ。
この君が代。
「君」は「あなた」と訳されてきたが
「君」を「天皇」という意味合いで使えば
国歌としてふさわしいのでは?
こうして歌詞が決まったのであった。
作曲者は外国人!
歌詞が決まったら、次は曲。
もちろん、日本には外交でも使えるような
作曲のノウハウはない。
「やっぱり、曲調は西洋楽だよなぁ。
誰か作れる人いないかなぁ。」
そこで、頼ったのが
2人の外国人。
それが、フェントンとエッケルト。
フェントンは
「日本の国歌を教えて!」と言った
あの人だ。
はじめにフェントンが作曲。
これが1869年の
アルフレッド王子来日にも使われた。
…が、わずか11年後の
1880年(明治13年)、
リニューアルされることに。
理由はシンプル。
歌詞とメロディのリズムがあっていない!
実はフェントンは日本語を
うまく理解できていなかったのだ…。
さすがに10年も経つと
日本人の耳も肥えてきて
「あれ、これあってなくない?」
と思い始めたわけ。
続いてエッケルトが、この曲を改良。
それが今日の「君が代」に繋がっていったそう。
君が代 普及の浮き沈み
出来たばかりのころは、
儀式など限られた場でしか使われない、
知る人ぞ知る曲だった君が代。
転機となったのは、
1890年に創刊された「音楽雑誌」
ここで、国歌としてとりあげたことで
民間にも徐々に広まっていく。
これで君が代も安泰。
「えがったえがった」
なわけがなく。
現在まで続くまでに2つの消滅危機があった。
まず、第一の危機
1904年(明治37年)
ちょうど日露戦争の時期。
「こんなの、国歌にふさわしくない」
と声があがる。
意見はこうだ。
・皇室の歌を連想させるのは
絶対王政を助長してよくない。
・暗すぎるため戦意が高揚しない。
どこかで聞いた意見。
現代と同じ議論がすでに行われていたとは。
しかし、国歌を変えるには代案が必要。
その「別の歌」が出ず、
「じゃあ、とりあえず君が代!」
と使われ続けたことで。
第一の危機は免れた。
ちなみに暗すぎるという意見は
太平洋戦争時にも出たらしい。。。
その後、
日清・日露戦争を経て
一等国の仲間入りを果たした日本。
ここで、再び疑問が生まれます。
「国歌は君が代で良いのかなぁ」
そこで面白いのは
擁護するコメントを海外に求めたことです。
当時の音楽雑誌にて
ニューヨーク音楽芸術研究所所長、
フランク・ダムロッシュの言葉
「敬服するのは日本固有の曲節を以て
表したる非凡の技術に至っては
驚嘆の外ない」
と手放しで大絶賛!
さらに、
「世界でもっとも美しい国歌のひとつ」
など、著名人からの絶賛コメントを
集めまくります。
これは言ってしまえば、不安の裏返し。
自分では「素晴らしい」と信じられないから
海外の評価を求めてしまう―。
なんとなく今の日本エンタメにも通ずるところが
あるかもしれません。
そして、1937年。
教科書に君が代が載り
太平洋戦争時には、愛国歌として
強く歌わされたことが、君が代普及につながります。
一緒に同じことをするのは
一体感が出ますよね。
歌うことで、それを作りたかったのでしょう。
しかし、同じ行動させることは
強い束縛感も生み出します。
それが、次なる消滅の危機へと繋がっていこうとは。
第二の危機は戦後まもなく。
やはり、
天皇賛歌が国歌としてふさわしくない。
として、不要論が巻き起こります。
「君が代、いらね!」
今度は代案も次々と出ました。
しかし、作詞に関わったほとんどの人が
戦時中の軍歌にも携わっており、
軍歌を連想させたのか、
大して普及せずに終わります。
またしても
「良い曲がないから君が代でいっか」
で生き残っていくのです。
恐るべし強運。
これからの君が代
「ほかに思いつかないから
君が代で良いんじゃない?」
は今でも根底にある考えかもしれません。
この消極的な考えが、
君が代を歌ってこそ日本人。
という考えを燻ぶらせている原因…
かは分かりませんが、
(一部、都道府県の斉唱義務化など)
「君が代」が、すっかり踏み絵に
なり下がってしまったのが現在です。
ただ、歴史を振り返ると
百戦錬磨を乗り越えた歌なのです。
・気分が高揚しない
・天皇賛歌だから違う歌を歌おう
誕生からずーっと言われ続けていることが
分かりました。
でも、結局だれも代わりの歌を作ることが
できませんでした。
批判にさらされながら残り続けたのが
この歌のすごいところなのかもしれません。
だからこそ、
ただの踏み絵にしてしまって良いのだろうか。。。
最後に著者・辻田真佐憲さんはひとつ提案をしています。
「歌うことは抑圧感を生んでしまう。
せめて「聞く」だけに留めたらどうか。」
海外でも歌うことを強制しない国があるそうで、
それにならい、聞くだけでも良いんじゃないかと。
「君」は「天皇」という意味で使われている事実は
変えられない。
ただ、「象徴天皇」として…
国民の象徴として「君」を受け止めるぐらいは
できるんじゃないかと。
君が代の歌詞自体には
千年以上の歴史があります。
世界最古と言っても差し支えありません。
歴史を鑑みると、
ただの踏み絵扱いは、考えるものがありますね。
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