“名は体を表す”「私はヴァレンティナ」 感想

映画

人生初のブラジル映画を見たよ~。
っていう話。

私はヴァレンティナ

出典:「私はヴァレンティナ」公式サイトより引用

データ

公開:2022年
製作国:ブラジル
 

あらすじ

ヴァレンティナ 17歳―。

彼女はトランスジェンダーであることを隠して
ブラジルの小さな街に引っ越してきた。
 
出生届の名はラウル。
 
通称名のヴァレンティナとして
学校に通う手続きのため蒸発した父を探している。
 
新しい友人もでき。新生活にも慣れてきたころ、
年越しパーティーに参加したヴァレンティナは
見知らぬ男性に襲われしまい・・・。
 
事態はそれだけに収まらず、
事件をきっかけにSNSでの誹謗中傷や、
脅迫、暴力沙汰など様々な危険が
身に降りかかる。

田舎町に越してきた高校生の青春を描く
日常もの。
 
そう、日常もの!
なので、特に大きな誇張もない。
 
・・・にもかかわらず、
トランスジェンダーの生きづらさを、
どうしてこうも強く感じるのか。
 
LGBTのうち、
「LGB」に対する理解は
わずかだけれど深まってきたように思う。
創作の世界でも、当たり前のように
目にするようになったからだ。

しかも、昔のような、
「キワモノ」扱いして誇張した表現でなく。
キャラクターの個性として、
サラりと表現されるようになってきた。
 
だが、「T」への理解は
深まってきているかというと、
実は一番壁が高いのかもしれない。
 
やはり見た目とのズレが、
大きく関係しているのかも。
 
人は目から入る情報に頼って生きているから、
視覚情報を真実だと思い込みやすい。
だから、認識のズレを受け入れにくいのだと思う。
 
 
「私はヴァレンティナ」の劇中、
トイレに行く、服を着替える、などなど
ただのちょっとした日常の一コマ。
 
しかし、そこでヴァレンティナは
絶対に一人になりたがるところに
社会に遠慮しなければならない一面が見える。
 
受け入れられにくいことだと自覚しているわけだ。
 
 
現実のブラジルでは
トランスジェンダーである学生の
中途退学率は82%
平均寿命はたったの35歳だそうだ。
 
なぜ、長く生きられないのか。
そのヒントは、この映画の中にある。
 
 
平気で他人の家に石を投げてくるし、
とある“圧力”もかけてくる。

圧力のかけかたがね。
夜道の一人歩きに背後から・・・的な。
命の危険を感じるレベル。
実際にトランスジェンダーが殺されることが
多いそうだ。
 
 
この映画には、ゲイの友人も出てくるが、
彼は、そこまで苛烈なことはされていない。
 
せいぜい変わってる人ぐらいの距離感で
みんな接してくる。
 
このゲイの友人と
ヴァレンティナの境遇が対になっていることで
彼女の立場がすごく際立つ。
 
 
 
良いなと思うのは、
いくらでも「大事件」として描くことができるのに
そうしていないところ。
 
 
例えば、SNSで
「ヴァレンティナは男だ!」と揶揄した
中傷画像が出回るんだけど、
これは「大事件」として
過剰に描くこともできるのにそう見せてない。
 
ヴァレンティナは
「また、前と同じことが起きる」
そう嘆くのみだ。
もはや日常茶飯事の悲しみなんだろう。

ありのままを見せる。
それが、この映画が日常系だと思う点。
 
 
中傷画像が出回ったあたりから、
ただの、おじいさんですら、
自分を糾弾しているかのように見えるシーンは、
上手いと思いました。
 
ただね、おじいさんが
ジーっと見つめてくるんですけど、
それだけなのに、胸がキュッとするんです。
 
 
 
ちょっと1点、
終盤も終盤の展開は、ご都合主義やしないか?
と思ったけれど・・・。
 
急に「誰だよお前ら」みたいな連中が
たくさん出てくるからね。
 
とはいえ、最後に、
ヴァレンティナの世界が変わったことの
表し方がすごくスマートで良い。 
 
ヒトコトで言うならば、
「名は体を表す」のである。
 

というわけで
「私はヴァレンティナ」でした。

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