“日本を知る①″映画『マイスモールランド』感想

映画

泣いた。
もうホント映画館で泣いたの久々。
 
ただし、悲しくて泣いたんじゃない。
己の不甲斐なさに泣く。
 
日本人なのにゴメン。
日本人でゴメン。
 
そんな気持ちで胸がいっぱいになる映画の話。

マイスモールランド

出典:映画『マイスモールランド』オフィシャルサイトより引用

データ

公開:2022年
製作国:日本

あらすじ

17歳のサーリャは、
生活していた地を逃れて来日した家族とともに、
幼い頃から日本で育ったクルド人。
現在は、埼玉の高校に通い、親友と呼べる友達もいる。
夢は学校の先生になること。
 
父・マズルム、妹のアーリン、弟のロビンと4人で暮らし、
家ではクルド料理を食べ、
食事前には必ずクルド語の祈りを捧げる。
「クルド人としての誇りを失わないように」
そんな父の願いに反して、
サーリャたちは、日本の同世代の少年少女と同様に
“日本人らしく”育っていた。

進学のため家族に内緒ではじめたバイト先で、
サーリャは東京の高校に通う聡太と出会う。
聡太は、サーリャが初めて
自分の生い立ちを話すことができる少年だった。
ある日、サーリャたち家族に
難民申請が不認定となった知らせが入る。
在留資格を失うと、居住区である埼玉から出られず、
働くこともできなくなる。
そんな折、父・マズルムが、
入管の施設に収容されたと知らせが入る……。

出典:映画『マイスモールランド』オフィシャルサイトより引用

見る前は、そもそも
「クルドってどこ?」という意識でした。
 
実は国としてのクルドはもうありません。
第一次世界大戦で、
クルド人の居住区は、
英仏露の3国によって分断されました。
 
今は、トルコ、イラン、
イラク、シリアの4カ国にまたがり
クルド人の居住地がある、と。
 
 
そして、紛争に巻き込まれ、
各国で迫害を受けている。
それは、ここ日本でも。
 
 
日本で受けている迫害とは?を
一組のクルド人家族を中心に描いた作品です。
 
 
映画の始まりは、とある結婚式の様子から。
 
クルドのしきたりに準じた式で、
手のひらに赤い丸をつけるとか、
「へぇ」がいっぱいあります。
 
どこの国での話かな?
それこそ無知な私は
「クルド」の地かな?と思ってたわけですが、
次のバスのシーンで、
日本だって分かるんですね。
 
これ、もう意図的に、
日本に見せないように撮ってますよね。
 
日本のほそぼそとした場所で、
伝統を大事にしている反面、
現在は、クルド人であることを隠して、
日本人として暮らしている。と。
 
それが分かるのが、
バスのシーンのあと、
サーリャが一生懸命、手を洗うシーン。
こういうシーンに、
複雑な心の機微を感じます。
 
 
含みを持たせた始まり方ですが、
前半は、明るい話。
とにかくサーリャを演じる
嵐 莉菜さんがキラキラしてるんですよね。
 
たぶん、ファンが
めちゃくちゃ増えるんじゃないかな。
笑顔がマジヤバい。(語彙力喪失)
 
親に内緒でバイトをして、
友達とバカ笑いして
帰りが遅いと父に怒られ。
 
日本人の家庭でもありそうな
普通の光景が広がっている。
 
 
ところが、父親の難民申請が却下され、
ビザが使えなくなったあたりから、
映画の雰囲気はガラリと変わる。
 
ちなみに難民申請をしても
日本の認定率は1%未満だそう。
 
申請を通すには、
国に帰れない証拠を
提出しなければならないのだが、
命からがら逃げる人間に
証拠を持って逃げろなんて、バカげた話。
 
サーリャ父のセリフ
「申請のために何が足りないんですか!」と
声を荒げるシーンが胸にささる。
 
難民申請が通らなかったら、
どうなるのか?
ビザが使えなくなり、
日本では働くこともできない。
隣の県に行くことすらできない。
 
主人公サーリャは高校生。
友達同士で渋谷にだって行きたい。
けど、住所のある埼玉県から出ることが
できないのだ。
 
それに働かなければ生きていけない。
なのに、
働いてしまうと、
不法就労で拘留されてしまう。
 
もはや、迫害以外の何物でもない。
 
 
後半から、
いろんなセリフがグサグサ刺さります。
「どこの国から来たの」
「日本語上手ね」
「頑張ってね」
 
気づかいのセリフのはずなのに、
無神経すぎると感じちゃうんです。
これはもう映画の力ですよね。
 
映画の良いところは、
誰かの人生を
疑似体験できるところだと思います。
 
ネット記事で見て、
誰かのYoutubeを見て、
「知っている」のとは違う。
肌身に感じて分かる感覚。
 
これはテレビにもできない。
だからこそ、
まだ映画は愛されているのだろう。
 
 
劇中のセリフ、ちょっとうろ覚えですが。
「クルドにも、日本と同じ石がある」的なことを
言うんですけど。

まあ、つまるところ同じ自然がある。
同じ自然で生きる人間である。ってことだと
思うんですが。

全部、日本人のせいなのに。
無自覚に、傷つけていく感じ。
 
これに対して、
我々は何もできない無力感を
味わい続ける。
そんな映画ですよ。
 
 
「知っている」「分かる」
まったく違うことを
まざまざ見せつけられました。

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