いやあ、映画ってほんとに
いいものですね。っていう話。
エンドロールのつづき
データ
公開:2023年(日本公開)
製作国:インド、フランス
監督:パン・ナリン
あらすじ
9歳のサマイはインドの田舎町で、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。
出典:映画『エンドロールのつづき』公式サイトより引用
厳格な父は映画を低劣なものだと思っているが、ある日特別に家族で街に映画を観に行くことに。
人で溢れ返ったギャラクシー座で、席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光…
そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていた。
映画にすっかり魅了されたサマイは、再びギャラクシー座に忍び込むが、チケット代が払えずにつまみ出されてしまう。
それを見た映写技師のファザルがある提案をする。
料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのだ。
サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、
いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるが――。
残念なことに、最後の最後、
大事なシーンが盗まれてしまったので、
「つづき」を見ることができない。
でも、なんだろう。
不思議と「つづき」を受け取った気がする。
そういう映画でした。
劇中で「映画は錯覚だ」って言うんだけど、
よくよく考えたら、たかが4色の光が作りだす錯覚なんですよ。
映画って。
それに、一喜一憂してるかと思うと不思議だよなぁ。
なんで、魅了されちゃうんでしょう。
この映画は、映画好きが一番最初に通る入口。
「映画の仕組み」にクローズアップした作品で、
主人公サマイが、映画の不思議、
なんでスクリーンという布に、人が動いている映像が映るのか。
そんな当たり前のことに、「なせなぜ」と探求心で突き進んでいく。
サマイがひとつ、ひとつ仕組みを理解していくごとに、
こっちもなんだか、ほっこりしていく。
ちょっと可笑しいのは、
やっぱり、インドの子どもも、退屈なシーンは
席にじっとしてられなくなるんだな、
万国共通なんだなと。と思うシーンがあるところですね。
サマイという名前が時間という意味というのも、
なかなか、映画愛が詰まってます。
時間芸術が映画ですから。
やんわりとカースト制度による、
職業選択の不自由さも出てきたり、
そこはかとなく、インドの風土を感じる。
中でも一番、風土を感じるのは、食事!。
渾身のお弁当ショットが、これでもか!と畳みかけてきて、
見てるとお腹ペコペコになる。
丁寧に、調理シーンから見せるんですよ。
食材をすりつぶして混ぜ合わせて、
フライパンに油しいて、
焼き上げたら、弁当箱に詰め込んで・・・と、たまらんすね。
鑑賞の際は、ホットドッグを持ち込んだほうが
いいかもしれない。
というわけで、
「エンドロールのつづき」でした。
けっこう全体的に、静かに流れるので、
派手な展開が好きな人には退屈かもしれない。
だけど、ラストシーンで、
映画が残したものを考えると、ジーンときます。
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