主夫である主人公。
仕事に生きがいを感じる妻。
そこに、何も違和感を覚えなければ、
きっと幸せな地域に住んでいる。
ジョイランド わたしの願い
出典:映画『ジョイランド わたしの願い』公式サイトより
データ
公開:2024年10月(日本公開)
製作国:パキスタン
監督:サーイム・サーディク
あらすじ
大都市ラホール、保守的な中流家庭ラナ家は3世代で暮らす9人家族。
出典:映画『ジョイランド わたしの願い』公式サイトより
次男で失業中のハイダルは、厳格な父から
「早く仕事を見つけて男児を」というプレッシャーをかけられていた。
妻のムムターズはメイクアップの仕事にやりがいを感じ、家計を支えている。
ある日ハイダルは、就職先として紹介されたダンスシアターで
トランスジェンダー女性ビバと出会い、パワフルな生き方に惹かれていく。
その「恋心」が、穏やかに見えた夫婦とラナ家の日常に波紋を広げてゆく——
男社会、ひいては体制への抗議が込められた物語。
なーんて、個人的には思いました。
まず、
家事、育児をする夫・ハイダル。
トランスジェンダーとして生きるビバ。
ほんの、数年前ではマイノリティだった人たち。
旧来の“男らしさ”とは違った男性像が描かれる。
いっぽうで、昔ながらの男性像も出てくる。
この映画に出てくる、ハイダルの父親は最も分かりやすい。
とかく、男は外で働け。
仕事も、立派なものであるべき。
そして、年長者が家長であり、一番偉い。
そんな考えの持ち主である。
だから、ハイダルのことは、
父にとってかなり頭を悩ませる存在で、
とかくハイダルには冷たい。
そんな父ですが、途中で小便を漏らすシーンがあるんですね。
つまり、見栄やプライドを守ろうとするだけでは、
自分の粗相すら防げない。
そんな、まあーどうしようもない男性陣ばかりなんですよ。
劇中に出てくるのは。
というわけで、
けっこうハッキリと、昔の価値観は、
今どき流行らないよ!っていってる感じの映画でした。
見せ方も面白く。例えば画角。
最近では珍しい4:3っぽいサイズだったのも、
窮屈な世界の表現だったのかな~。と思ったり。
また、
序盤と終盤で、似た構図がいくつも出てくるのだけど、
意味はまるで違うというのも、考察がはかどる。
具体的に2つほど紹介すると、
序盤:子どもたちと遊ぶハイダル。
終盤:子どもたちと遊ぶムムターズ。
もうひとつ。急な停電にみまわれるシーンにて。
序盤:スマホの明かりをつかってメイクを続けるムムターズ。
終盤:スマホの明かりをつかって職務をまっとうするハイダル。
この2つは、はっきり男女対比になっていると思う。
賞賛のされ方とか比べてみると、いろいろ考えちゃうね。
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