偉そうなヤツをコテンパンにする妄想をしたことはるか?
私はある。
しかし、弱者のソレはいつも“妄想”で終わる。
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
出典:ワーナー・ブラザース公式サイトより
データ
公開:2024年10月(日本公開)
製作国:アメリカ
監督:トッド・フィリップス
あらすじ
理不尽な世の中の代弁者として、時代の寵児となったジョーカー。
出典:ワーナー・ブラザース公式サイトより
彼の前に突然現れた謎の女リーとともに、狂乱が世界へ伝播していく。
孤独で心優しかった男の暴走の行方とは?
誰もが一夜にして祭り上げられるこの世界――彼は悪のカリスマなのか、ただの人間なのか?
予告の口紅のシーンは、本編でもオシャレすぎてしびれた・・・!
かーなーり強烈なラストショットの意味は、
これまでのアーサーの境遇に寄り添うと、
強いメッセージを持つな、と思う。
アーサーの視線の先にあるものを考えるとね。
主人公アーサーに同情してしまったとき、見えてくるもの。
もしや、本当のジョーカーとは。。。
前作がアーサーの話を誰にも聞いてもらえない物語なら、
今作は、アーサーが誰とも話したがらない物語。
会話しているシーンは、本当に少ない。
その代わり、ミュージカルシーンが多い。
歌でなら、流暢に言葉を出せるアーサー。
しかも、そこでは強い自分がいて、脱獄も暴力も思いのまま。
そんな強いアーサーを誰しもがほめそやす。
辛い境遇にいればいるほど、
一発逆転を夢見るのは、けっこう誰しももっている自然な感情だと思う。
だが。
だがしかし、歌うシーンというのが、すべて頭の中で起きたこと。
これは、意思疎通できていると思っているのは、
アーサーだけという…ことかな。
一連の流れは見ていて、心臓がキュッとなりました。
結局、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』で描かれる現実は、
弱者はさらに弱者をいたぶるということ。
本作を見る前に、
たまたまなんだけど『バカと無知』を読んでいて、
けっこう人って、自分のことを過大評価しがち。 実は「日本人の3人にひとりは、日本語が理解できない」らしい。 そう考えると、みんな無理して社会を生きているのかもな。 肩ひじ張ってさ。
この本の中に、トラウマ治療のことが書かれている。
1980年代、アメリカで流行った記憶回復療法とその弊害についてだ。
簡単にまとめると、物事はすべて原因と結果が対になっている。
犯罪も、犯人の過去のトラウマに起因がある。という考えかた。
この考え方は、人々の心の拠り所となり、
過去のトラウマを探るセラピーに通う人が増えたのだとか。
ただ、いいことばかりではなく、ありもしない記憶を捏造する人々もいた。
人間の脳みそというのは厄介で。
嘘の事象も事実として、記憶してしまうのだそう。
つまり、セラピーにより、過去のトラウマを捏造された人々もいたのだ。
なぜ、そうなったのかには次のような考えがある。
「酷いことをしてしまうのは、自分が忘れているだけでトリガーとなる記憶が
あるに違いない。」
本当に、悩んでいる人もいるだけにデリケートなお話。
このお話、まんま『ジョーカー』にもあてはまらないか?
記憶回復療法を受けていたアーサー。
アーサーの思う母の姿と、周囲の見たアーサーの母の姿は、
だいぶ印象が違うこともふまえて考えると、
とても残酷な物語に思えてくる。
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