映画の感想 “ジョーカー フォリ・ア・ドゥ”

偉そうなヤツをコテンパンにする妄想をしたことはるか?
私はある。

しかし、弱者のソレはいつも“妄想”で終わる。

ジョーカー フォリ・ア・ドゥ

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』ファイナル予告 2024年10月11日(金)公開
出典:ワーナー・ブラザース公式サイトより
公開:2024年10月(日本公開)
製作国:アメリカ
監督:トッド・フィリップス

理不尽な世の中の代弁者として、時代の寵児となったジョーカー。
彼の前に突然現れた謎の女リーとともに、狂乱が世界へ伝播していく。
孤独で心優しかった男の暴走の行方とは?
誰もが一夜にして祭り上げられるこの世界――彼は悪のカリスマなのか、ただの人間なのか?

出典:ワーナー・ブラザース公式サイトより

予告の口紅のシーンは、本編でもオシャレすぎてしびれた・・・!

かーなーり強烈なラストショットの意味は、
これまでのアーサーの境遇に寄り添うと、
強いメッセージを持つな、と思う。
アーサーの視線の先にあるものを考えるとね。

主人公アーサーに同情してしまったとき、見えてくるもの。
もしや、本当のジョーカーとは。。。

前作がアーサーの話を誰にも聞いてもらえない物語なら、
今作は、アーサーが誰とも話したがらない物語。

会話しているシーンは、本当に少ない。

その代わり、ミュージカルシーンが多い。
歌でなら、流暢に言葉を出せるアーサー。
しかも、そこでは強い自分がいて、脱獄も暴力も思いのまま。
そんな強いアーサーを誰しもがほめそやす。
辛い境遇にいればいるほど、
一発逆転を夢見るのは、けっこう誰しももっている自然な感情だと思う。

だが。
だがしかし、歌うシーンというのが、すべて頭の中で起きたこと。

これは、意思疎通できていると思っているのは、
アーサーだけという…ことかな。
一連の流れは見ていて、心臓がキュッとなりました。
結局、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』で描かれる現実は、
弱者はさらに弱者をいたぶるということ。

本作を見る前に、
たまたまなんだけど『バカと無知』を読んでいて、

バカと無知?人間、この不都合な生きもの?(新潮新書) 言ってはいけない
著者:橘 玲
けっこう人って、自分のことを過大評価しがち。
実は「日本人の3人にひとりは、日本語が理解できない」らしい。
そう考えると、みんな無理して社会を生きているのかもな。
肩ひじ張ってさ。

この本の中に、トラウマ治療のことが書かれている。
1980年代、アメリカで流行った記憶回復療法とその弊害についてだ。

簡単にまとめると、物事はすべて原因と結果が対になっている。
犯罪も、犯人の過去のトラウマに起因がある。という考えかた。

この考え方は、人々の心の拠り所となり、
過去のトラウマを探るセラピーに通う人が増えたのだとか。

ただ、いいことばかりではなく、ありもしない記憶を捏造する人々もいた。
人間の脳みそというのは厄介で。
嘘の事象も事実として、記憶してしまうのだそう。
つまり、セラピーにより、過去のトラウマを捏造された人々もいたのだ。
なぜ、そうなったのかには次のような考えがある。
「酷いことをしてしまうのは、自分が忘れているだけでトリガーとなる記憶が
あるに違いない。」

本当に、悩んでいる人もいるだけにデリケートなお話。

このお話、まんま『ジョーカー』にもあてはまらないか?

記憶回復療法を受けていたアーサー。
アーサーの思う母の姿と、周囲の見たアーサーの母の姿は、
だいぶ印象が違うこともふまえて考えると、
とても残酷な物語に思えてくる。

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