映画の感想 “ノー・アザー・ランド”

映画の力とは何かと考えたら、
作品にのめり込む力だと思うんです。

主人公の道のりに共感していくことで、
いつの間にか、自分事になっていく力。

だからこそ、追体験させられる理不尽な暴力に打ちのめされる。

ノー・アザー・ランド 故郷は他にない

【アカデミー賞ノミネート】池松壮亮ナレーション『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』予告編解禁|2/21㊎公開
公開:2025年2月(日本公開)
製作国:ノルウェー・パレスチナ
監督:バーセル・アドラー、ユバル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール

ヨルダン川西岸地区のマサーフェル・ヤッタで生まれ育ったパレスチナ人の青年バーセルは、
イスラエル軍の占領が進み、村人たちの家々が壊されていく故郷の様子を
幼い頃からカメラに記録し、世界に発信していた。
そんな彼のもとにイスラエル人ジャーナリスト、ユヴァルが訪れる。
非人道的で暴力的な自国政府の行いに心を痛めていた彼は、バーセルの活動に協力しようと、
危険を冒してこの村にやってきたのだった。
同じ想いで行動を共にし、少しずつ互いの境遇や気持ちを語り合ううちに、
同じ年齢である2人の間には思いがけず友情が芽生えていく。
しかしその間にも、軍の破壊行為は過激さを増し、彼らがカメラに収める映像にも、
徐々に痛ましい犠牲者の姿が増えていくのだった―。

出典:映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』公式サイトより

どうか、フィクションであってくれ!と願いたくなる。
しかし、映し出されるのは、実際にあった出来事。

ただ、住居を追い出されるのではなく、
生まれた地を追い出されるという。
カントリーロードが無くなることに耐えられる人は、
いったい、何人いるのだろうか。

 
心に響かないと意味がない。
本作の中でしきりに語られるけど、
そうやって生まれたのがこの映画だとしたら。
伝える手段は映画じゃないといけなかったんだと思う。

ニュースでは、熱意は伝わりづらかったかもしれない。
劇中の場面でも、報道番組で訴えるシーンがあったけれど、
あまり上手くいってなさそうだった。

ただ、映画的な嘘がひとつあって。

カメラの録画ボタンは、押してもピコんって音は収録されないはずなんだが、
この映画にはそれがある。

「記録に残している」ことを伝える音が。

残せるということは、誰かにとどけられるということだと、
なんかそう思った。

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