映画の力とは何かと考えたら、
作品にのめり込む力だと思うんです。
主人公の道のりに共感していくことで、
いつの間にか、自分事になっていく力。
だからこそ、追体験させられる理不尽な暴力に打ちのめされる。
ノー・アザー・ランド 故郷は他にない
データ
公開:2025年2月(日本公開)
製作国:ノルウェー・パレスチナ
監督:バーセル・アドラー、ユバル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール
あらすじ
ヨルダン川西岸地区のマサーフェル・ヤッタで生まれ育ったパレスチナ人の青年バーセルは、
イスラエル軍の占領が進み、村人たちの家々が壊されていく故郷の様子を
幼い頃からカメラに記録し、世界に発信していた。
そんな彼のもとにイスラエル人ジャーナリスト、ユヴァルが訪れる。
非人道的で暴力的な自国政府の行いに心を痛めていた彼は、バーセルの活動に協力しようと、
危険を冒してこの村にやってきたのだった。
同じ想いで行動を共にし、少しずつ互いの境遇や気持ちを語り合ううちに、
同じ年齢である2人の間には思いがけず友情が芽生えていく。
しかしその間にも、軍の破壊行為は過激さを増し、彼らがカメラに収める映像にも、
徐々に痛ましい犠牲者の姿が増えていくのだった―。
どうか、フィクションであってくれ!と願いたくなる。
しかし、映し出されるのは、実際にあった出来事。
ただ、住居を追い出されるのではなく、
生まれた地を追い出されるという。
カントリーロードが無くなることに耐えられる人は、
いったい、何人いるのだろうか。
心に響かないと意味がない。
本作の中でしきりに語られるけど、
そうやって生まれたのがこの映画だとしたら。
伝える手段は映画じゃないといけなかったんだと思う。
ニュースでは、熱意は伝わりづらかったかもしれない。
劇中の場面でも、報道番組で訴えるシーンがあったけれど、
あまり上手くいってなさそうだった。
ただ、映画的な嘘がひとつあって。
カメラの録画ボタンは、押してもピコんって音は収録されないはずなんだが、
この映画にはそれがある。
「記録に残している」ことを伝える音が。
残せるということは、誰かにとどけられるということだと、
なんかそう思った。
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