映画の感想 “博士の綺奏曲”

音楽の息吹、ひらめきを可視化している変わった世界観の
映画のお話。

博士の綺奏曲

公開:2024年11月(日本公開)
製作国:ベネズエラ
監督:ニコ・マンサーノ

研究所に勤めながらも、オルタナティヴ・ロックバンド
「ロス・ピジャミスタス」のボーカルを務めていたアンドレスは、
汚職にまみれた政権が主催する音楽祭にメンバーたちが
無断で参加しようとしていたのを知り、脱退を決意する。
バンドを離れ、ソロでの活動を開始したアンドレスのもとに現れた、
顔なき奏者「ビースト」たち。
混乱と貧困が日常を蝕んでいくベネズエラで、
アンドレスはビーストたちとともに、孤高のアルバム制作を試みる……。

出典:映画『博士の綺奏曲』より

ベネズエラの映画は初鑑賞。
実は博士は、あんまり重要ではない。
ちなみに原題を知ると、印象がまるで変わる。

邦題をつけるときに相当悩んだに違いない。

内容は、ベネズエラらしさを包括した
新たな音楽を追求していく主人公アンドレスのお話。

アンドレスが、フェスへの不参加に意固地になった理由は、
あらすじを後で知って分かったので、
きっと、ベネズエラでは常識だったのかなぁ。
こういう常識って、常識だから詳細は省かれることが多い。
邦画で箸の持ち方を丁寧に解説する映画はないのと同じ。
しれっと、他所の常識を知れるのが映画という媒体の面白いところ。
違ってたら恥ずかしいけど。

内容の話に戻す。

アンドレスが作曲に行き詰ったとき、
黄色いべールに包まれた2人組の奏者が、
いつの間にか現れて思い思いの楽器を演奏していく。

この2人が、どう好意的に解釈しようにも、
異様なたたずまいで。
玄関の覗き窓で見たら絶対にドアを開けたくない、いで立ち。

しかし、安心してほしい。アンドレス以外には見えない。

いわゆる、頭の中に出てくるヒラメキの可視化だと、
勝手に思っている。
アンドレスは、この奏者とセッションすることで思いついた音、
思いついたままの音を重ねることで作曲をしていく。

物語の最後の最後は、
当然、アンドレスが追及のうえに、たどり着いた曲を演奏。
この演奏を聴くと、なんか、妙に哀愁を感じるんです。
あんなに、ベネズエラらしさにこだわってたのに、
結局たどり着いたのは…。

…とまあ、ざっくり内容を書いたところで、
映像表現で特徴的だったところの話を。
それは、本編をほぼミディアムショットで構成していて、
見ていて窮屈に感じるところ。
劇中人物は、ほぼ顔が分からない画角で撮影しているし。

だけど、この窮屈さと主人公の感じる窮屈さをリンクさせているのだとしたら、
見方が変わる。

息苦しい世界でいきているんだなと。

ちょっと、印象深かったショットがあって。
それは、アンドレスだけがキレイに直角にとらえられていて、
背景の海の水平線が斜めに傾いているショット。
終盤に出てくるこのショットは「世界が変わった感」があって、
嫌いじゃないですね。

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