記録と記憶
過去と現在
幻想と現実
2つの物語が収束していくラストは、美しい。
ちなみに平井堅は、まったく関係ない。
瞳をとじて
データ
公開:2024年2月(日本公開)
製作国:スペイン
監督:ビクトル・エリセ
あらすじ
映画『別れのまなざし』の撮影中に主演俳優フリオ・アレナスが失踪した。
当時、警察は近くの崖に靴が揃えられていたことから投身自殺だと断定するも、
結局遺体は上がってこなかった。
それから22年、元映画監督でありフリオの親友でもあったミゲルは
かつての人気俳優失踪事件の謎を追うTV番組から証言者として出演依頼を受ける。
取材協力するミゲルだったが次第にフリオと過ごした青春時代を、
そして自らの半生を追想していく。そして番組終了後、一通の思わぬ情報が寄せられた。「海辺の施設でフリオによく似た男を知っている」——
出典:映画『瞳をとじて』公式サイトより
前二作の長編は、「別れ」と「旅立ち」が描かれていたのに、
今回、「再会」が描かれているので、
エリセ監督が映画館に「ただいま」を、言いたかったのかもしれない。
人によって、いろんな考察が飛び交う類の映画とは思う、
個人的には、「映画愛」を振り返る作品なのかと。
主人公が映画監督という設定しかり、
劇中劇ならぬ劇中映画『別れのまなざし』の存在も大きい。
劇中でかなり印象強く撮っている像があって、
それは、前後を向く2つの顔がついている像。
調べると、ヤヌス像というものらしい。
門の守護神で、事のはじまりと終わりを司る。
二面性のシンボルでもある。
そう考えると、入口を強調した瞬間も多い。
カギ付きの門。
カギなく自由に行き来できる扉。
そして、公式サイトに、監督の言葉が載っているんだけど、
それを読むと、2面性、対比を意識しているっぽい。
記憶と過去、幻想を象徴する『別れのまなざし』
記録と現在、現実を象徴する『瞳をとじて』
異なるけれど、完全に相反するものでもない。
2つの物語が、最後に溶け合い完結する。
『ミツバチのささやき』と『エル・スール』と、
エリセ監督の作風が大きく変わったな、と思ってたけど、、、
そもそも主人公が、オッサンだし。
締めくくりのショットみると、
やっぱりビクトル・エリセです、この映画。
後半、やたらブラックアウトが多いな。とは感じたが、
映画のラッシュは、瞬きに似ている。
と、『ゴッドファーザー』をはじめとする、
数々の映画編集をこなしてきたレジェンド、
ウォルター・マーチさんが『映画の瞬き』に書いてたと思い出した。
目を閉じたとき、僕らはいろいろな記憶を整理して、
自分の物語を作るんだ、と。
もしかしたら、瞬きの表現だったのかもなぁ。
瞳をとじて、何に思いを馳せるのか。
言葉ではなくて、作品で、
すごく、大事なことを言われた気もする。
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