映画の感想 “聖なるイチジクの種”

イチジク属には「絞め殺しの木」と呼ばれる種類がある。
他の植物を宿主にして成長するタイプの木。

もし、人間のいさかいをイチジクに例えるとしたら・・・。

聖なるイチジクの種

映画『聖なるイチジクの種』本予告 | 𝟮/𝟭𝟰(𝙛𝙧𝙞)全国順次公開

出典:映画『聖なるイチジクの種』公式サイトより

公開:2025年2月(日本公開)
製作国:ドイツ・フランス・イラン
監督:モハマド・ラスロフ

市民による政府への反抗議デモで揺れるイラン。
国家公務に従事する一家の主・イマンは護身用に国から一丁の銃が支給される。
しかしある日、家庭内から銃が消えた——。
最初はイマンの不始末による紛失だと思われたが、
次第に疑いの目は、妻、姉、妹の3人に向けられる。
誰が?何のために?捜索が進むにつれ互いの疑心暗鬼が家庭を支配する。
そして家族さえ知らないそれぞれの疑惑が交錯するとき、
物語は予想不能に壮絶に狂いだす——。

出典:映画『聖なるイチジクの種』公式サイトより

この映画には2つの視点が入っていると思いまして。

ひとつは、多様性の価値観の中にあるイスラーム共和制という目線
もうひとつは、体制の中に生まれた多様性という価値観。

どちら側から見ても、片方は脅威・恐怖の対象になっているなと。
そのことは作劇上でも見てとれます。
極端に夫を恐れる妻を中心に描かれる前半と、
ヒジャブなしの女性を恐れる夫が話の中心になる後半。

いわずもがな、
妻の視点は共和制に対する恐れ。
夫の視点は多様性に対する恐れ。

映画製作が制限された中で作られた作品ということもあって、
出てくる場面がほぼ室内。
外の場面もほぼ車内。

しかし、「閉じられた空間から見えるものは限りがある。」
という状況が、かえってこの作品に渦巻く不安にリンクしている気もした。

劇中の迷い道での攻防でも、
いいようのない不安の種が成長し、ツタが絡み合っていることを
表現しているのかも。と思ったり。

ある程度、両者の立場をバランスよく描いている。
だけど、見た人なら明確にこの映画が持っている主義主張に気づくはず。

事実を伏せられた状態で見ると、
最初は、夫のほうにも同情を覚えるのだけど、
後半にいくにつれ事実が分かり始めると、
同情心が希薄になっていくと思う。

目を覚ませと言われたような。
イランの現状が見えてくる映画です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました