本当の地獄は戦争が終わったあとに
おとずれる―。そんな映画の話。
戦争と女の顔
出典:映画『戦争と女の顔』公式サイトより引用
データ
公開:2022年
製作国:ロシア
監督:カンテミール・バラーゴフ
あらすじ
1945年、終戦直後のレニングラード。
出典:映画『戦争と女の顔』公式サイトより引用
第二次世界大戦の独ソ戦により、街は荒廃し、建物は取り壊され、
市民は心身ともにボロボロになっていた。
史上最悪の包囲戦が終わったものの、
残された残骸の中で生と死の戦いは続いていた。
多くの傷病軍人が収容された病院で働く看護師のイーヤは、
PTSDを抱えながら働き、パーシュカという子供を育てていた。
しかし、後遺症の発作のせいでその子供を失ってしまった。
そこに子供の本当の母であり、戦友のマーシャが戦地から帰還する。
彼女もまた後遺症や戦傷を抱えながらも、
二人の若き女性イーヤとマーシャは、
廃墟の中で自分たちの生活を再建するための闘いに
意味と希望を見いだすが…。
原案となったのは、ノーベル文学賞を受賞した
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのデビュー作。
『戦争は女の顔をしていない』
原作は未読なので、
てっきり、戦火の中で、男社会に振り回される、
そんな女性たちを描いているのだと思っていた。
けれど、全然違った!
むしろ、地獄は戦争が終わってからが本番。
そういう話でした。
戦争が残したのは、
身体的、精神的後遺症の数々で、
自分の意思ではどうすることもできない負担を
抱えながらも、なお生きていかねばならぬ。
戦争は、銃の撃ちあいでは終わらないのだ。
劇中、負傷が原因で、
体を全く動かせなくなった兵士が出るんだけど、
彼が言うんだよ。
「家族の負担になりたくないから殺してくれ」って。
辛い現実から逃げ出したい。
けれど、それでも残された妻や子供たちは
生きていかねばならぬわけで。
この辺の男性と女性の考えの違いが
如実に出てると思った。
さて、題名の「女の顔」ですが。
実は、登場する女性たちは、
全員ウソを付いています。
仮面を被っているわけです。
戦火を生き抜くために、
自然と身に付いた仮面。
物語が進むにつれて、
「本当の顔」がつまびらやかになっていく。
一種のミステリー作品を見ているようで
面白かった。
と、同時に悲しくもある。
例えば、主人公のイーヤ。
イーヤは、突然、意識を失う発作もち。
それでも、子供のパーシュカを
心のよりどころとして生きている。
後々、パーシュカは我が子じゃないことが
明かされていくんだけど、
それが分かったとき、見方がガラリと変わる。
ひとつは、
発作が原因の事故で、
パーシュカを無くしてしまうのだが。。。
たぶん、初見だとかわいそう。
しかし、秘密が分かってみると、
「なんて迂闊な」って思っちゃう。
けれど、なぜ、そんな発作を持つようになったのか?
それが明らかになってくると、
再び、境遇に同情の心が芽生えてくる。
こんな風に、秘密が明かされていくごとに、
見てる側の気持ちも揺さぶられていく。
伏線のはりかた、心情の描き方が上手いというか。
冒頭、院長からイーヤにかけられたセリフも印象に残る。
「今日、ひとり分の食事が空くから
子供に食べさせてやれ」って言葉が、
後半では、ちょっと違う意味に聞こえてくるし。
あと、イーヤの友マーシャ。
我が子・パーシュカを失ったにも関わらず、
周りには、パーシュカはイーヤの子供だと
思われていたとかさ。
その事実を知った時のマーシャの表情。
ここは、けっこう心にくるよ。
そして、ドレスひとつで乙女のように
はしゃぎまわるマーシャ。
なんか、ずっと軍服だったからだろうな。とか。
いろいろ考えちゃうシーン。
映画を見終わると、
「女の顔」っていうのは、
表に出てるのが全てじゃないよ。と、
諭された気分でした。
男によって勝手に始まり、
勝手に終わった戦争を経験した女性たちは、
簡単に「結婚」とか考えない。
男を信用できないのだろう。
そういう複雑な気持ちにもなります。
2019年製作の映画ということで、
現在のロシア情勢を予期して
作られたわけではないと思うけれど、
終わっても辛いことが待っていると考えると、
なんで戦争は起こるんですかね。。。
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