映画感想 “敵”の子どもたち

多様性の時代の中で、
人として大事な共通のものって何があるんだろう。
と、そんなことを思った映画の話。

“敵”の子どもたち

映画『“敵”の子どもたち』予告編 9.16(土)イメージフォーラム公開

データ
公開:2023年9月(日本公開)
製作国:スウェーデン・デンマーク・カタール
監督:ゴルキ・グラセル=ミューラー

概要

ミュージシャンのパトリシオ・ガルヴェスの娘、アマンダは元妻と共にイスラム教徒に改宗。
スウェーデンで最も悪名高いISISメンバーと結婚し、2014年にシリアに密航してしまう。
そして2019年、ISIS掃討作戦で夫婦共に殺され、1歳から8歳の7人の幼い子どもたちが遺された。
「娘は救えなかったが、孫は救いたい」。決意を固めたパトリシオは、孫の救出に乗り出していく。
孫がシリア北東部のアルホル難民キャンプにいることを知り彼は、シリアとの国境近くのイラクの都市へと向かう。

出典:映画『“敵”の子どもたち』公式サイトより引用

祖国スウェーデンを離れ、ISISに所属した自分の娘。
彼女が残した子どもたちは救出すべき対象なのか?
 
孫を助けるため、シリアに向かうパトリシオ。
 
国内からは、スウェーデンに帰ってくるな!
連れ帰っても同じ保育園に子どもを入れたくない、とバッシング。

批判的な声が上がる背景には、
ISISの行った非人道的行為に
児童虐待も含まれていたことは大きいと思った。
 
暗に、自分の子どもだけ助けるなんて
虫が良すぎないか?
そんな意見が隠れている気がした。
 
 
それでも、シリアに向かうパトリシオじいじの並々ならぬ覚悟に脱帽。
娘の代わりに、私が謝る。
と、言ってのける胆力。
 
 
どうして、そこまで覚悟が決まっているのか?
そして、パトリシオの行いがなぜ必要以上に槍玉にあげられるのか?
少しづつ、謎が明らかになっていく。
 
この謎が明らかになっていくたびに、
「こうなることも分からんでもない。」と、
見てるだけの観客側が先に諦めそうになるけれど、
それでもまったくブレない、パトリシオがすごいなと。
 
 
いっぽうで、政府の消極的対応にモヤモヤする。

衝撃を受けたのは、
「ISISに行った人は我が国の人間ではない、だから無視すればいい」
と、一部の人が発した言葉。
自国の汚点と捉えて、関わり合いを避けようとするのは、
同じ人間に思われたくないという防衛本能なのだろうか。
 
 
 
さまざまな障害とパトリシオは戦い、
途中、感極まって撮影スタッフと泣きながら抱き合う場面は、
それまでの気丈な姿とのギャップもあって、ホロリとくる。
 

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