殺すか、見殺しか。
メインビジュアルのインパクトに
腰が引けちゃうかもしれないけど、PG12なんだぜ。
ホントダヨ。
ピギー
データ
公開:2023年9月(日本公開)
製作国:スペイン
監督:カルロタ・ペレダ
あらすじ
スペインの田舎町。 ティーンエイジャーのサラはクラスメイトからの執拗なイジメに苦しんでいた。
出典:映画『ピギー』公式サイトより引用
両親や弟からも理解されず、家の中でも居場所を見つけられないサラは
ヘッドホンに頭をうずめて自分の気持ちを閉じこめる日々を送っていた。
ある日、あまりの暑さにひとりで地元のプールへと出かけたサラは、怪しげな謎の男と、
3人のクラスメイトと鉢合わせてしまう。
再びクラスメイトたちのイジメの標的となるサラ。 しかし、その帰り道、恐ろしい現場に遭遇する。
それは、血まみれになった3人のいじめっ子たちが、謎の男の車に拉致され、連れ去られるところだった…。
救世主が「殺人鬼」だったら?
イジメる側からするとアウトローの存在であるサラ。
そんなサラを認めてくれたのは、もっとアウトローだった。
今まで、弱者の立場であったところから、急に立場が逆転!
自分だけ命を狙われない強者の立場になる。
良心の呵責に悩まされる話。・・・かと思っていたのだけれど、
もう少し事態は入り組んでいて。
これは、いい意味で裏切られたなと。
大体の人間は親、友人、SNS…etc
誰かに従って生きているという、
そんなメッセージもあるんじゃなかろうか。
従うというのは、何も決定権を渡すということだけでなく、
「友人に嫌われたくない!」
「良い子供でいたい!」
そういったしがらみが、結果的に個人を縛るという。
サラも、そんなよくいる女の子。
ストレスを感じると、食べることでごまかしてきた。
親、友人に否定され続けた彼女のことが分かるセリフがある。
「選択を間違えそうで怖かった」
劇中で語られるこのセリフは、
国籍問わず、誰しもが思っている不安のタネなんだなと。
イジメてる側も、仲間外れにされたくない、
そんな意思が見え隠れする。
間違いを恐れるから、時にはリベンジさえも人任せ。
実はとらえ方によっては、家畜の生き方なのかもしれない。
だからこそ、ラストの攻防が輝く。
「喰われるために飼われている豚じゃねえ!」そんな叫びを感じた。
いま振り返ると、ブタの解体から始まるオープニングも
暗にそういう意図が入っていたのかもしれない。
1点。
セリフだけで死んだことが説明される登場人物がいるのだけど、
それだけ、気になったかな。
ショッキングなシーンは意外に少なめです。
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