“犬から見たイスタンブール” ストレイ 犬が見た世界

映画

犬の目線からトルコを見る
一風変わったドキュメンタリー映画の話。

ストレイ 犬が見た世界

出典:「ストレイ 犬が見た世界」公式HPより引用

データ

製作国:アメリカ
公開:2022年
 
 
トルコでは、
犬を勝手に殺したり、捕獲してはいけない。
と法律で定められているそうです。
 
なので、町中のいたるところに、
野犬が入り込み、
日本ではありえない「犬の街」を
見ることができます。
 
うかつに誰も手を出すことができない犬。
トルコで撮影するなら、犬のそば以上に安全な場所はない。
 
それはつまり、野犬に密着することで
簡単に「神の目線」を作り出すことができる。

 
このアイデアには、まいった。
 
 
映画では、3匹の野犬に密着する。
 
表通りから路地裏まで、
縦横無尽に人間社会に溶け込んでいく犬を追うと、
カメラに映りこむのはトルコの人と文化。
 
・路上生活を余儀なくされるシリアからの難民
・男女の愛情のもつれ
・夜中に練り歩く焼き菓子の売り子
・宗教上の理由から犬に触れない人々
 
さまざまな事情を抱えた人が描かれる。
 
犬に密着するため、
カメラは全編ローアングル。
 
一度も、トルコ・イスタンブールの
全景が映るわけではないのに、
断片を繋ぎ合わせていくと、
街を感じることができる、不思議。
 
情報の取捨選択が上手いんだろうなぁ。
トルコの路上で寝ると警察に捕まるという
細かい情報まで分かった。
 
 
そして、犬たちは、人間社会の問題には
まるで無頓着。
 
映画では社会問題を
絶妙なバランスで突き放した目線で描いている。

人に密着すると、
何かしらのいざこざに巻き込まれるが、
犬にとっては知ったことではない。
  
 
口論のシーンなどでも、
対象の「人」は映さず、それを聞く「犬」。
もしくは、意に介さず寝てる「犬」を映すとか。
 
数あるドキュメンタリー映画の中でも、
限りなく、中立な目線で作られていると感じる映画でした。
 
 
あくまで考えるのは見てる側だと。
 
 
社会問題は、ぼかすいっぽうで、
明確に描いているものもあります。
それは、いろいろな「人」と「犬」との距離。
 
 
たとえば、
観光客は当然、犬が守られていることを知らないので、
無下に扱ったりするんですね。
 
そして、トルコに多いイスラム教徒。
イスラム教の教えでは犬は不浄のものと
されているため、
宗教上の理由から触れない人もいます。
・・・猫は触れるらしい。
 
だから犬が猫を追い立てて、
猫が木の上に逃げる場面とか、
「何かの暗喩か?」と妙な勘ぐりをしてしまう。
 
 
あとは、ストリートチルドレンたちは、
犬たちに名前をつけて、一緒に生活することで
寂しさを紛らわせている。
 
仕事場に犬が居座ってたりすると、
鬱陶しそうに追い払う人も。
 
 
そして、飼い犬は服を着て、
野犬は、耳に政府の管理タグがついている。
 
さまざまなつながりがあって、
そんな人と犬のつながりから
薄ぼんやりとトルコを知ることができる。
 
 
最後に、個人的に
エモーショナルなカット、
印象に残ったカットをいくつか紹介。
 
 
●国際女性デーの日に、
街を練り歩く女性たちの横で
犬たちの「本能」を映したショット。
 
わざわざ、このショットを採用したのは、
趣味悪いなぁと思った。もちろん良い意味で。
 
 
●トルコ国旗に集う犬たち。
バーっと、ただ走ってるだけなんだけど、
国旗に集合してるように見えるショット。
 
 
●トルコの歌に合わせて遠吠えする犬。
  
 
枚挙に暇がないほど、
哀愁漂うカットがたくさん出てきます。
 
 
最後に、この映画で感心したのは、
撮影者の存在を限りなく消したことですね。
 
映画に出演してる人々には、
本来、カメラマンの存在が見えてるはず。
 
 
犬が危ない行動をしてる時・・・、
例えば、交通量の多い道路で
道を渡る時とか、
カメラマンも同行して撮影してるんですよ。

犬のタイミングで渡るので
安全とは限りません。
 
いくら密着とはいえ、
これは危ない。
 
カメラマンの存在は、
みんな見えてるはずだから、
絶対、スタッフに文句言ったりしてるはず
・・・なんだけど、
そんなシーンないんだよね。
 
 
だから、スタッフ感を消すのが、
すごく上手い。
この撮影のコツをすごく知りたくなりました。
 
 
 
というわけで。
「ストレイ 犬が見た世界」の話はここまで。

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