禅と日本文化 (岩波新書) |
「わび」「さび」を説明すると、
こういうこと!みたいな1冊でした。
漢文が、訳もなくポーンと載ってるので、
ちょっと面食らう。
強く印象に残ったのは、
「一は多で、多は一なり。」
まあ、なんのこっちゃいの話ですが、
分けたり区別して考えない精神というのかな。
ちなみに、
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
ってことではないよ。
白か黒かではなく、
グレーの部分。
このグラデーションの部分があるのが、
日本文化の「らしさ」だと、そう捉えました。
で、これを「わび」「さび」と呼ぶと。
「わび」「さび」を生むのが禅の考えだと。
禅というと仏教になりますが、
無宗教者の多い日本で仏教の考えが浸透してるのは面白い。
日本画には、西洋絵画に比べて空白が占める割合が大きい。
空白を描くために、周囲を描いているといっても良いかもしれない。
そこに、はっきりさせない余地を残す。
受け手によって感じ方の自由がある。
それは、俳句でも。
松尾芭蕉の有名な一句
古池や
蛙飛び込む
水の音
どう考えても、単純な単語の羅列に、
情緒を感じろというのが、難解なんですけど、
なぜだか、情景が浮かぶんですよね。
事細かに伝えたほうが良いはずなのに、
あえて言葉を絞って、
想像する余地を残す。
こういった、作法というものが、
茶道だったり、日本の文化の隅々に息づいていると。
むかしむかしの大昔に、
高貴なたしなみだった仏教。
そんな高貴な人々によって作られたいった「日本」
だから、法からマナーまで、「仏教」の血を感じる。
それは、庶民のもとにも「芸術」という形でおりてきて、
いわゆる今日の「わび」「さび」があるのだろう。
とまあ、以上が私なりの、この本の解釈でした。
どうやら、続きの下巻があるらしい。
さらに、上下が1冊にまとまった版もあるらしい。
そっちを買えば良かったか。
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