教育基本法第十六条
出典:文部科学省HPより引用
教育は、不当な支配に服することなく、
この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、
教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、
公正かつ適正に行われなければならない。
教育と愛国
データ
公開:2022年
製作国:日本
出典:映画「教育と愛国」公式WEBサイトより引用
ドキュメンタリー映画
「教育と愛国」鑑賞しました。
たぶんこの映画のキーは、
冒頭に書いた教育基本法だと思います。
教育基本法では、
つまるところ権力者により、
教育を歪めてはならない。
と言っている。
この映画には、
自分に都合の良い教育をしようとする―、
そんな権力者たちが登場する。
ずばり政府なんですけどね。
もっと厳密にいうと
自由民主党政権である。と。
さらにさらに具体的に書くと、
安倍政権からの政府だと。
「それをつまびらかにしてやるぜ!」
という作品です。
本編の幕開けは、
「道徳」の授業の話から。
次のうち正しい挨拶はどれでしょう?
1「おはようございます」と言いながらお辞儀をする。
2「おはようございます」と言ってからお辞儀をする。
3_お辞儀をしてから「おはようございます」と言う。
もう、問題文の時点から、
笑っちゃうんだけど。
正解は映画を見てほしい。
ちなみ私が普段やってるのは1。
答えは外しました。
この一見ふざけた「道徳」の授業。
当時の政府の見解によると、
「ちゃんとした日本人」を育てるために必要だそうだ。
どうやら私は“ちゃんと”してはないらしい。
日本人であるはずなのに、
何をもって“ちゃんとした”なのか
よく分からないから。
現在教科書は、
「教科書検定」と呼ばれる制度により、
文部科学大臣が教科書として適切か否かを判断。
その検定をパスしたものだけが、
教科書として販売される。
当然、教科書販売で成り立っている出版社には、
採用されなければ死活問題。
自然と、政府のご機嫌を取った教科書になっていく。。。
政府が教科書の内容について
適切か否かを決めること自体、
教育基本法からはずれている気がするけれど。。。
それよりも、
この構図は、太平洋戦争時の状況と
よく似ている。
当時は、スクープを先走った新聞各社により、
公式発表よりも戦果報告が先行しすぎて、
世間が混乱していた。
よって、政府が
「良い子にしないと情報やらないよ!」と
メディアの統制をはじめる。
結果、スクープがほしいメディア各社は
政府のご機嫌取りを始めるように。
しまいには、政府の言ったとおりにしないと、
新聞を印刷する紙を支給しない。
といった事態に陥っていく。。。
もう、この一連の展開にそっくり!
特に、政府が教科書へ口出しするのは、
歴史についてだ。
中でも戦時中の日本。
従軍慰安婦、
沖縄県民へ自害の強要などなど。
それらは確固たる証拠がない。として
教科書から記述がなくなっている。
まあ、待てよと。
性奴や、自害強要なんて、
犯罪を記録に残すわけないじゃんか。
ちなみに、戦時中、
軍が相手国の民間女性に乱暴していたのは
よくあったことのようで。
ナチスドイツもソ連軍も、
そんなことをしていたらしい。
しかし、
ナチスはユダヤ迫害の罪の影にかくれ、
ソ連、現ロシアでも、女性への乱暴は
おおっぴらに語られていない。
悪いことはしたけど、
当時の世情的には仕方なかった。
そんなオチにしたいのだ。
しかし、凌辱はいかなる理由でも
納得できるものにならないので、
隠したいのだと思う。
昔は教科書に載っていた
日本軍の残酷な仕打ちが
なぜ消えたかというと、
当時の安倍首相が
こんな旨のことを言っていた。
「日本人が自身を卑下し自虐的になりすぎることで、
日本人としての誇り、自信を失ってしまう。」
この安倍元首相の考え方は
今の日本エンタメに強く形として出ていると
感じています。
マンガ、アニメ、ドラマ、映画とあるけれど、
最近強く思うのは、
「主人公が成長しなくなった」
主人公が、
物語の中でさまざまな価値観の人と出会い、
大人になっていく・・・話はめっきり減り。
主人公の考え方が絶対的なものとして描かれだした。
その絶対的な考えに周りの人間がほだされていく。と。
まるで、完全無欠の神の誕生を見ているみたい。
主人公の腕っぷしが強くなることで
成長を描いているとしているのだろうか。
このあたり、最近では、
昔の作品がリメイクされることも増えたので、
比較しやすく、分かりやすい。
「ジョゼと虎と魚たち(アニメ版)」
「日本沈没2020」
などは、結局なんやかんや
元の作品にあった問題提起部分はなくなったうえで、
最終的に、どちらの主人公も
才能が覚醒してメデタシメデタシ。
これは、暗にこう言っているに過ぎない。
“我々は頑張らなくても他所からみれば、
才能に満ち溢れているんだ”と。
現に、普通の人間が異国の地で
ちやほやされる作品がすごい人気だし。
現実逃避のあらわれかと思ってたけど、
よく考えたら安倍政権あたりから
この手の作品が増えてきた。
日本人の誇りとやらを
作品に出していたのかもしれない。
日本人は天才集団であると。
だから成長など無意味だって。
バラエティ番組でも、
日本あげが目立つようになった。
日本人とは価値観のひとつであって
正解ではないはずなのにね。
もう、たぶん民間レベルで
無意識的に、自主的な「教育」が始まっている。
それは、安倍政権から始まった
自民党の御しやすい国民作りかもしれない。
この「教育」で育った人間は、
似たようなコンテンツが好きになり、
そのコンテンツが売れるので、
メディアも作り続けることになる。
一種の表現自粛が始まっているなぁと
思うのであった。
この表現自粛は、
表現規制なんかよりも根深く、
ヤバいものに育つんじゃないかと
ちょっと思っている。
メディアに携わるものとしては
気分は複雑。
そもそも政治の話すると、
SNSで叩かれちゃうしね。
・・・映画の話から脱線しすぎたかな。
それくらい真剣に考えて見ちゃう映画ってことで。
この「教育と愛国」
映画としてどうかというと、正直微妙。
TV番組をそのまま流しました感が強い。
ナレーションが多すぎて・・・
なかなか作品にのめり込めないというか。
今起きていることのはずなのに、
虚構に見えちゃうんですよね。
ナレーションは、
当事者の声ではなく、
制作者が作った言葉ですから、
どうしても「作り話」に見えてしまう。
もっと言うと、
教育ビデオっぽくなりすぎちゃって、
107分しかないのに、すごく眠くなる。
という、語り口としては
微妙な部分もある映画でした。
だけど「マイスモールランド」に続き
日本を知るには良いと思います。
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