多様性の時代の中で、
人として大事な共通のものって何があるんだろう。
と、そんなことを思った映画の話。
“敵”の子どもたち
データ
公開:2023年9月(日本公開)
製作国:スウェーデン・デンマーク・カタール
監督:ゴルキ・グラセル=ミューラー
概要
ミュージシャンのパトリシオ・ガルヴェスの娘、アマンダは元妻と共にイスラム教徒に改宗。
出典:映画『“敵”の子どもたち』公式サイトより引用
スウェーデンで最も悪名高いISISメンバーと結婚し、2014年にシリアに密航してしまう。
そして2019年、ISIS掃討作戦で夫婦共に殺され、1歳から8歳の7人の幼い子どもたちが遺された。
「娘は救えなかったが、孫は救いたい」。決意を固めたパトリシオは、孫の救出に乗り出していく。
孫がシリア北東部のアルホル難民キャンプにいることを知り彼は、シリアとの国境近くのイラクの都市へと向かう。
祖国スウェーデンを離れ、ISISに所属した自分の娘。
彼女が残した子どもたちは救出すべき対象なのか?
孫を助けるため、シリアに向かうパトリシオ。
国内からは、スウェーデンに帰ってくるな!
連れ帰っても同じ保育園に子どもを入れたくない、とバッシング。
批判的な声が上がる背景には、
ISISの行った非人道的行為に
児童虐待も含まれていたことは大きいと思った。
暗に、自分の子どもだけ助けるなんて
虫が良すぎないか?
そんな意見が隠れている気がした。
それでも、シリアに向かうパトリシオじいじの並々ならぬ覚悟に脱帽。
娘の代わりに、私が謝る。
と、言ってのける胆力。
どうして、そこまで覚悟が決まっているのか?
そして、パトリシオの行いがなぜ必要以上に槍玉にあげられるのか?
少しづつ、謎が明らかになっていく。
この謎が明らかになっていくたびに、
「こうなることも分からんでもない。」と、
見てるだけの観客側が先に諦めそうになるけれど、
それでもまったくブレない、パトリシオがすごいなと。
いっぽうで、政府の消極的対応にモヤモヤする。
衝撃を受けたのは、
「ISISに行った人は我が国の人間ではない、だから無視すればいい」
と、一部の人が発した言葉。
自国の汚点と捉えて、関わり合いを避けようとするのは、
同じ人間に思われたくないという防衛本能なのだろうか。
さまざまな障害とパトリシオは戦い、
途中、感極まって撮影スタッフと泣きながら抱き合う場面は、
それまでの気丈な姿とのギャップもあって、ホロリとくる。
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