明治・大正の香りのする、
ロマン、いや浪漫溢れる世界観の映画の話。
しかも2本立て。
クラユカバ
出典:劇場長編アニメーション映画「クラユカバ」「クラメルカガリ」より
データ
公開:2024年4月(日本公開)
製作国:日本
監督:塚原重義
あらすじ
「はい、大辻探偵社」
紫煙に霞むは淡き夢、街場に煙くは妖しき噂…。
出典:劇場長編アニメーション映画「クラユカバ」「クラメルカガリ」より
今、世間を惑わす“集団失踪”の怪奇に、探偵・荘太郎が対峙する!
目撃者なし、意図も不明。その足取りに必ず現る“不気味な轍”の正体とは…。
手がかりを求め、探偵は街の地下領域“クラガリ”へと潜り込む。
そこに驀進する黒鐵くろがねの装甲列車と、その指揮官タンネとの邂逅が、
探偵の運命を大きく揺れ動かすのであった…!!
まずは、公式サイトからビジュアル見てください。
SF的に言えば、スチームパンクな世界。
現代と過去の技術の融合。
嫌いじゃないです。好き。
この映画でキーワードになる「クラガリ」
普段生活してて、
無意識に作っている「オレたち」とそれ以外の境界線。
それをこの映画では「クラガリ」と呼んでいる。
と思った。
組織vs.組織。父と子、などなど複数の対立構造が出てくるけど、
その「あっち」と「こっち」の境目って誰が作るんだろうね。
この境界を意識してみると、
けっこう独特なポイントがあって。
たとえば、写真が動き出すファンタジーな動きや、
パペットの講談などなど。
夢か現実か、境界を曖昧にしてくる。
中でも、特に大きいなと思ったポイント。
それは、
「語り部を映さないで話を移行する。」
どういうことかというと、
荘太郎がナレーションしてると思いきや、
途中からタンネが別の話をナレーションする。
このとき、誰がしゃべっているかを映さずに話が切り替わるものだから、
だんだん、頭が混乱してくる。
見てると、頭クラクラしてきて、境目が曖昧になってくる。
そうなのよ。
ビジュアルでは境界を強調するけれど、
物語は曖昧にしていく、このアンバランスさが、
かなり、独特だった。
そのうえで、わざとやってるんだと思うけど、
矢継ぎ早に情報を畳みかけてくるので、追いかけるので精いっぱい。
この徒労感を例えるなら、
旅行のスケジュールがギチギチで、風情を感じるヒマがなかった。
詳しくはなるけど。
そんな感じ。
ほんと、一時の夢みたいな映画でした。
では、次。
クラメルカガリ
出典:劇場長編アニメーション映画「クラユカバ」「クラメルカガリ」より
データ
公開:2024年4月(日本公開)
製作国:日本
監督:塚原重義
あらすじ
零細採掘業者がひしめく炭砿町…通称“箱庭はこにわ”。
日々迷宮の如く変化するこの町で地図屋を営む少女―カガリ。
“箱庭”からの脱却を夢想する幼馴染―ユウヤ。昨今この町で頻発する不審な“陥没事故”は、
出典:劇場長編アニメーション映画「クラユカバ」「クラメルカガリ」より
次第にふたりの日常を侵食し始めて・・・
果たして、町の命運は、カガリはこの事態を乗り越えられるのか!?
困難の先で、少女は今日“ちょっとだけ”大人になる―
クラユカバのスピンオフということだけど、
物語は繋がってないので、こちらを先に見ても大丈夫。
どんでん返しと、
どんちゃんする群像劇は、
脚本をつとめた成田先生の色がすごーく出てる。
偏屈な作品。
成田先生といえば『バッカーノ!』
知ってる人は、あの空気感です。といえば分かりやすいかも。
まったく面識ない登場人物たちが
神の目線でみると、実は繋がってるっていう構図。
いっけん、複雑なんだけど、
見てみると分かりやすい群像劇になってるのは、すごい。
この手の作品は、
言葉で説明しづらいので、どう絡み合っていくのかは、
ぜひ、見て頂ければと。
もし、こっちの路線で続編出たら、
主人公は別のキャラになるだろうな。
やはり、こちらでも
クラユカバと同じく境界線が見え隠れする。
上流階級と下の人間。
下の中でも、派閥があり。。。
そんな中で、いろんな境界を踏み越えていく、
カガリの快活さに癒される。
地図って、見えないものに意味を与えるって行為なのかも。
2作同時上映って、最近じゃ見なくなりましたね。
最後に見たのはドラえもんだったか。
あの頃は、1本分の代金で2本見れた気もするな、懐かしい。
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