息抜きのつもりで読んでたら、
仕事をほっぽりだしてた。
そんな、魔力を持った小説のお話。
十角館の殺人
あらすじ
十角形の奇妙な館が建つ孤島・角島を大学ミステリ研の七人が訪れた。
出典:裏表紙より
館を建てた建築家・中村青司(せいじ)は、半年前に炎上した青屋敷で焼死したという。
やがて学生たちを襲う連続殺人。
ミステリ史上最大級の、驚愕の結末が読者を待ち受ける!
87年の刊行以来、多くの読者に衝撃を与え続けた名作が新装改訂版で登場。
第十章の最後の一言に、
映像化不可能といわれた理由のすべてがある。
それは、トリックもそうなんだけど、
最後の一言に詰まった余韻というか、情緒は、
小説だからだせるんだろうな。
映像は、どうしても具体的になりすぎるので、、、
例えば、会話ひとつとっても、
小説では、「と、○○は言った。」一文が
言葉のあとに添えられる。
誰がしゃべったのかを後で知る。
映像では、誰がしゃべったのかで迷うことはない。
この、「後で知る」タイムラグが生み出すものってなんだろうって、
考えたときに、思いついたのは「心に残る」
人間って誰かに言われたことよりも、
自分で発見したものの方が記憶に残るらしい。
「あれって、そういうことか!」って、
自分で答えを見つけられるようにできているのが、
小説のすごいところ。
そして、この『十角館の殺人』は、
全てを「後で知る」ようにできているため、
人物の心情の機微がすごく印象に残る。
何気に、ミステリ研という設定が面白くて、
あらゆる「ミステリあるある」を皆が口々に語り出すんです。
読者としては、「こう語られた」ということは、
「もうこのトリックないな。」なんて、メタ的に考えてしまうわけです。
それが、止まらないの。
この推察、越える展開作れるのか?って心配になってくる。
綾辻先生、自分で自分のクビを締めにいってないか?って。
でも、その上がったハードルをキッチリ越えていくので、
名作として語り継がれる、理由を感じました。
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